双極性障害者(躁鬱病)三水マリンの心の叫び

双極性障害(躁鬱病)抱えて8年目三水マリンの思ってたこと、思ったことを書きます。ただ、それだけ。

父親は毒親〜病気の原因〜

 

おはようございます。2時間しか眠れなかった…。そしてドカ食いしてました。体重計乗って後悔するんだろうなぁ。

 

てなわけでそこらへんのことを書こうと思ったのですが、父親のことを書かないと今後の記事が?になるかような気がしたのですが、頑張って私の父親について書きますね。主に嫌いになったエピソードですが…。

 

1番最初の嫌いになったエピソードは…幼稚園の時かな?私がディズニーランドに行きたい!と言ったのです。

 

…そしたら父親がキレて母親と大喧嘩になり、母親と私と妹は母親の実家に帰るまでに至りました。

 

あれから私は、ああしたいとか、これ欲しいとか言えない子供になった気がする。父親の機嫌を伺う子供になった気がする。

 

私のせいで家族が…っていう罪悪感でいっぱいでした。

 

小学生の時は、ポケットモンスターが流行っていたのですが、うちは一切ゲームを買って貰えませんでした。みんなポケモンの話しかしないので、登下校班はあっても、私だけポツンと1人で歩いていました。何より、好きな男子とそのせいで話が合わなかったのが辛かった…。

 

あと、子供の頃って、テレビの話題が大半を占めてますよね?…でもうちは父親がチャンネル権を握っていました。でも、どうしても見たいアニメがあったから、見たい!見たい!と言っていたら、キレられ、リモコンを投げつけられました。他にも暴言を吐かれた。あの時のこと、今でも鮮明に覚えてます。

 

小学生の子供を持つ親は、健全な時間のチャンネル権は譲るべき!だと私は今思いますね。それからテレビを見たい!とも言えなくなり、無理矢理興味を殺しました。

 

だから学校では友達の話に入れず絵ばっかり描いてました。

 

でも、私は絵を描くのが好きだったし、そこそこ上手だったのですが、父親が将来漫画家になりたいと思われては困る!と、マンガを買い与えて貰えない時期もありました。

そういう、人の夢を自分の意見で潰すところも大嫌いだ。

 

あと、時々、帰ってくるなり、超絶不機嫌な日が頻繁にありました。何を言っても怒られる。そんな夜。一緒に食事してても楽しいわけがありません。そういうことが重なり、私は常に父親の機嫌を伺いながら生活していました。すんごく辛かったです。

 

父親機嫌悪いエピソードのマックスで人としてありえない!と思ったのが、チャーハン事件。旅行帰り、ご飯は食べたけど小腹空いた人にはチャーハン作るけど、いるー?と母親が言ったのです。父親も食べると言ったらしいのですが、伝わってなくて、母親が父親の分を作ってなかった。母親は私のを代わりに食べていいよ!と言ったんですが、キレた父親は差し出されたチャーハンを…

 

ゴミ箱に捨てたのです。

 

今でも鮮明に覚えています。男としてとか、父親としてとか飛び越えて、人間として、ありえないと思いました。お前こそゴミ箱にいれてやりたい!

 

ありすぎて申し訳ないのですが、まだまだ書きます。

 

何かで私が反抗した時(珍しいな)に、胸ぐらを掴まれて壁にドンっとやられ、殴られそうになりました。母親が止めてくれましたが、あの時、力で勝てると思うなよと言った父親の言葉が忘れられません。

 

大人になってから、余計思いますね。男が女に、しかも子供に本気で手を出そうとしたなんて最低クズ以下です。

 

怒鳴る…は日常茶飯事でしたけどね。それが本当に苦手でした。怒鳴られるのが怖くて、萎縮して何も意見が言えない…そんな子供時代でした。

 

算数や数学が苦手になったのも父親のせい。元々、理解が難しかったのですが、父親に教えてもらうと、教え方が下手、感情的過ぎて私はいつも泣かされていました。数字が嫌いになりました。

 

妹ひいきだったエピソードで忘れられないのもあります。夕飯時、妹が私に話かけていたらしいのですが、私は本当にぼーっとしていて、全く気づかなかったのです。

が、それを父親に大声で指摘され、私が気づかなかった!と言ったら、嘘つき!性格が悪い!と言われました。勝手に決めつけて、人格まで否定されて。その日の夜は泣きながら寝た。今でも覚えているんだからね!

 

元々私立の中学に入れと言われ、小学生時代まで勉強頑張ってたのに、急に無しなった。は?と思った。

 

中学に入ってからは私の意思は無視で、厳しくて電車で行かなきゃいけない進学塾に入れられ、その上、運動部に無理矢理入らされた。

 

…私は演劇部に入りたかったから、体育館で演劇部の練習見るたび辛かったなぁ。

 

ちなみに高校受験ですが、公立に入るようにとかなーりプレッシャーをかけられました。真面目で親の期待に応えるいい子な私は、無理して勉強して、勝手に決められた公立高校の合格基準を満たした点数を入試でたたきだしました。

 

…なのに何故か不合格でした。

 

仕方なく、私立に行くことになったのですが、合格発表後、家族でファミレスに行ったとき、父親は言いました。

 

マリンのせいでお金が無いから安いの頼んで。

 

と。更に、二次募集受ければ?とも。

 

はぁ?と思いました。二次募集してるような偏差値無いに近い高校でよければ最初から頑張って勉強しなかったよ!

 

そして、落ち込んでる娘を余計、落ち込ませるなんて虐待だわ!

 

あぁ、虐待と言えば、小さい頃団地住みの時、喘息で咳が止まらない時、うるさいと父親に蹴られたなぁ。マジで虐待だわ。

 

時は経ち大学生。留学をしたかったのです。で、親の同意書を書いてとお願いしたのですが、明日が締め切りと言ったら、キレられ、俺は書かない!と言われました。意味が分からなかったです。名前と判子押すだけですよ?

 

…結局、母親に書いてもらいました。

 

その時、はじめて私は父親に言い返し、口論になりましたが、こちらの言い分を言っても、一向に理解して貰えないので、あの時から、この人とは話し合っても無駄!と思っています。

 

誰だって話合えば分かり合えると信じていたのですが、そういう訳でもないんだ!と知りました。

 

病気になり、鬱でずっと寝込み、自殺未遂した時に今までのうっぷんを一部父親に話したことがあるのです。

 

謝ってくれて、優しくなりました。

 

私は人生が素晴らしいものに変わった気がしました。解放されて報われたと思いました。

 

…が、病気は治らず、一ヶ月後らへんにはもう、寝込む私に父親は、いつもいつも寝てばかりいるんじゃないよ!と責めてきて、結局元の父親に戻りました。

 

はぁ…やっぱり、人は変わらないだ…と思いました。上げて落とされた分、憎さ倍増です。

 

こういう親を毒親というそうですね。

父親毒親でしょうね。

 

私はずっと親の期待に応えようと生きていた反面、早く離婚しないか、父親が死なないか、父親を殺そうか、毎日願っていましたよ。

 

両親がよく喧嘩していたので、一階で両親が喧嘩している幻聴がしていた時期もあります。

 

ゆうメンタルクリニックに試しに行った時、はっきり先生に言われました。

 

父親が原因です!!!!

 

と。

 

分かってます。と言いたい気分でした笑

 

やりたいことをやっとやれる!という大学生の時に発病したので父親を怨んでいるどころではありません。

 

お金も稼げないので、いつもいつも思います。

 

医療費と慰謝料払えや!!!!!!

 

と。

 

なんで私が心身、金銭で悩まないといけない?

 

全てテメェのせいだろが!!

 

もう数年会っていないし連絡もしてません。

 

謝られたとて、許せないし、慰謝料くれたとしても1兆円レベルじゃなきなゃ、嫌。

 

病気になっても、お見舞い行くつもりもないし、年老いたら虐待仕返してやろうと思っているし、葬式は行くかすら悩みますし、行くならぶち壊してやりたいです。

 

母親も、私が父親に会いたくないのは察してて、話題にもあまりだしません。妹が私の前で父親の話したときは私が気分悪くなって色々あり、妹も多分、話題避けてる。

 

そんな感じで、私の病気の元凶が父親であり、父親毒親であり、私は許せないし、いつか復讐してやるつもりだし…。

 

でも、本当は…誰かを憎んで生きるのも、辛いよ。両親に愛される、幸せな家庭に生まれたかったです。

 

すみません、文章がまとまらない…。

 

とにかく、忘れられない父親のエピソードでした。

 

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三水マリン